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2011年9月19日月曜日

石巻赤十字病院

9月14日長岡赤十字病院で災害医療従事者研修会が開催された

今回は石巻赤十字病院の石井正先生の特別講演があった

石井先生は石巻の最後の砦となった石巻赤十字病院でスーパーマンのごとく活躍され、NHKスペシャルや他の番組でも報道された


石巻赤十字病院 石井正先生


講演の内容はざっと以下のとおり(多少違うかも)

◎周到な準備の後に起きた大震災
時計の針を3月11日のあの時間から戻してみると
06’.5海岸部から内陸部の現在地へ病院が新築移転 
(免震構造、広いロビー、酸素配管のある壁)
08’~09’DMATに参加
10’.1.22石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会の立ち上げ
11’.2.12宮城県災害医療コーディネーターを県知事より委嘱

◎大ローラー作戦
300以上の避難所の様子をアセスメントシートで管理
この膨大な情報を毎日更新
衛生環境が劣悪だとわかり市に改善を要望、自らも行動
NTTドコモやいろいろな仕事の飲み友達がいて協力してくれた
(中継局ができたり、簡易水道ができたり)

◎石巻圏合同救護チーム
いろんな組織から派遣された医療チームが個別に活動するのは非効率
災害医療コーディネーターが一元的に統括する石巻圏合同救護チームが誕生

◎エリア・ライン制の導入
石巻圏をすべて管理するのは困難 14の地域に分けて管理
これにより新潟県も2ライン(2つの医療チームが常に常駐する)の医療支援が可能となった


詳しくは日経メディカルonline http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t138/201105/519580.html


石井先生の講演ではリーダーとはどうあるべきなのかということを教えて頂いた

院内3大キレキャラのひとりということであったが、これをを封印
他人へはありがとうの感謝の気持ちを持つ
いろいろな問題にはすぐ介入、即決、即行動
コミニュケーションをよくとる (電話代がとてつもない額に)
日赤の災害服で活動していたが、いろいろなチームの代表としてはよくないということであえて私服に着替えた

などの逸話を聴くことができた

1時間の講演はテンポよく面白い話が多かったが、その影で随分な御苦労があったのだろうと推測された


  

2011年9月15日木曜日

9.1政府総合防災訓練

平成23年9月1日 政府総合防災訓練が行われた

首都直下型大地震発生

埼玉県航空自衛隊入間基地に重傷患者が集められ、広域医療搬送が行われることになった

十日町病院DMATは新潟空港にて自衛隊の大型ヘリCH-47愛称チヌークに乗り込み入間基地に向かう予定であったが、群馬県内の豪雨により飛行は中止



飛行予定であったCH-47



既に高速道路を新潟空港に向けて走行中であった我が隊は、CH-47飛行中止の連絡を受け三条燕ICでUターンし、埼玉方面へ向かった

途中群馬県では猛烈な豪雨があり、我が隊の通過直後に高速道路は閉鎖になった

入間基地に近づくと四国DMATが乗り込んだ高松空港からの自衛隊C-1輸送機が高度を下げ着陸態勢にはいっているのが見えた


四国DMATが乗り込んだC-1輸送機



広大な入間基地内には電車が走る

ランニングをする隊員、自転車で移動する隊員、多数の参集するDMATのために交通整理をする隊員

SCU(Staging Care Unit)の格納庫内は既に運ばれてきた傷病者やDMATであふれ返っていた


SCU本部



我が隊はSCUからCH-47までの傷病者搬送

午後になり四国DMATは再びC-1輸送機で高松空港に戻っていった

するとあふれ返っていたSCU内は少しガランとしてきた


SCU内より滑走路をのぞむ


その後CH-47の機内で傷病者の搬入と搬出などの訓練の機会があった

自衛隊の方にはとてもよくして頂いた

東日本大震災では初の広域医療搬送がおこなわれた
被災地内の病院では通常の医療レベルを維持できないため自衛隊機を利用し遠方の病院へ重傷者を搬送する作戦である

次にこの作戦がおこなわれるのはいつか


高速道路の通行止めは解除されておらず大渋滞のなか帰宅した
地震と水害・・盛りだくさんの一日であった