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2011年3月21日月曜日

大搬送作戦(2)

福島県南相馬市立総合病院からの新潟県への入院患者搬送は3日目を迎えた

ヘリが前日天候不順で引き返していたが、早朝からヘリ6機による搬送が順調に行われた

救急車24台での搬送も順調で、続々消防学校へ患者が運び込まれた


搬入車と搬出車でいっぱいになる


名前の確認、健康チェックの後、新潟県内の病院へ搬出されていった


消防学校本部の様子


3日目は非常にスムーズに経過した

魚沼方面へは安定している患者をバスで搬送した


バス後部に3名を収容

この3日間の作戦で合計92名が新潟県内の病院へ収容された

当院でも1名収容し、計4名の看護師(DMAT以外)が作戦に参加してくれた

貴重な経験であった

2011年3月20日日曜日

大搬送作戦(1)

3月19日福島県南相馬市立総合病院から新潟への大規模な入院患者搬送が行われた

地震後南相馬市立総合病院は懸命に医療を続けてきた

しかし原発から30km以内にあり遂にその機能を停止せざるを得なくなった


その作戦は実は前日に始まったのだが、初日は5人のみであった

2日目は100名以上の新潟への大搬送作戦が計画された

新潟DMATをはじめ医師、看護師、救急隊が多数 新潟県消防学校へ集結した


参集したDMAT


参集した救急車

学校の体育館では搬送された患者の健康チェックをし、県内各地の病院へふり分ける準備が進められた



午後4時半に一番目のバスが到着した



福島から到着したバス


高齢の患者が多く、長旅とクルマ酔いもあって顔色が悪い方が多かった

途中で放射線のチェックを受けるためクルマの乗り換えをしてきたという

自分で動けない方がほとんどで乗り換えも大変であったろう


同乗してきた看護師さんは休む間もなく働き続け、もうダウン寸前というところだった

お疲れ様です


体育館の中ではスムーズに作業が進められ、搬送先も決められた


県内の病院へ向けて分散搬送される



県内移動がこれからあるのでかわいそうではあったが、一部の施設に集中することは避けねばならない

福島から到着した救急車


結局、計画の半数以下の搬送であった

福島では十分な車両やマンパワーがないのだろう

残りの患者の搬送は翌日に延期された

2011年3月14日月曜日

東日本巨大地震(1)

3月11日午後3時前 新潟県十日町でも不気味なゆっくりとした長い揺れを感じた

大きな地震がどこかで起きているのは間違いなかった

TVでは信じられない光景が映し出されていた 当院DMATは出動準備をすすめた 
私はいったん家に戻り、着替えや寝袋などを準備した 妻と娘が手伝ってくれた

DMATは医師の私と、看護師1名、調整員1名の計3名でこじんまりとした布陣だ

移動手段は消防の緊急車両で、消防職員の2名が運転手役として出動してくれることになった



移動に使用した車両



当日午後6時 当院のDMATは参集拠点の福島県立医大をめざし出発した
たくさんの人に見送られ、気分は特攻隊員の出撃か、宇宙戦艦ヤマトの出発のようであった

途中のコンビニで食糧(特にパン)と水をたくさん購入した 

DMATの緑色のユニフォームは目立ち、コンビニのひとに「地震ですか、がんばってきてください」と励まされた

越後川口インターから高速道路に入った

磐越道は途中から通行止めになったが、緊急車両のためそのまま通行することができた

午後9時 磐梯山パーキングエリアで休憩をとった

気温はマイナス4℃で粉雪が舞っていた スタッドレスタイヤでなければ当然走行は困難

ここでは被災地へ向かう緊急車両が給油と休憩のため多数集結していた

我々も今後の活動のことを考えここで給油することとしたが、既にクルマの長蛇の列になっていた

給油のおじさんが「あぶらがもうなくなるよ」と疲れ果てた声で嘆いていた



磐梯山パーキングエリア




警察や消防、ドクターカーなどの他に電力関係の会社のクルマが多かったのには驚いた

高速道路は比較的被害は少なく、福島西インターを降りた

国道4号線は崖崩れのため一部不通で、旧国道4号線にまわったがひどく渋滞していた

灯りの全くない地域があり、信号機だけが停電しているところもありで様々であった

午前0時に福島県立医大に到着した

既にたくさんのDMATが集結していた



 
DMAT本部 福島県立医大


赤タグの重傷者を治療可能な病院へ搬送するというのが最初のミッションであり、先発隊は既に出発していた

我々の車両は赤色灯のついた緊急車両ではあったが、患者搬送用のベッドがないため病院支援をすることになった

そこで津波の被害のひどかった災害拠点病院の南相馬市立総合病院へ向かった

海岸近くの国道ははズタズタということであったが、山越えのルートはスムーズだった


南相馬市立総合病院内の様子 院長先生とスタッフのみなさん


病院へ着くと3月12日午前2時 

2名の赤タグの傷病者を福島県立医大に運ぶため慌ただしく申し送りなどがされた

当日の日中は津波に巻き込まれたたくさんの方が運び込まれたとのこと

”ほとんどの方が泥だらけで大変であった

7名の方が亡くなり、死体安置所へ運んだ

泥水を吸い込んで呼吸不全となり人工呼吸器をつけている患者もたくさんいる

緊張性気胸や多発骨折もたくさんいた

もっともそっちの海のほうはまだプカプカ浮いているんじゃないか”

院内はフロアに多数のマットレスが敷いてあり 

院長先生はじめたくさんのスタッフが働いておられた 

深夜であったため外来患者はひとまず落ち着いていた


南相馬市立総合病院


夜明けとともに救助活動が再開され、また傷病者が運ばれてくるであろうとのことであった

看護師さんに家は大丈夫でしたかとたずねると、

「私の家は流されたみたいです おじいさんも行方不明です 帰るところもありません」

とのこと 返す言葉がみつからなかった

ロビーでニュースを見ていると”新潟県中越地方で大きな地震が発生 十日町市で震度6弱”
私が驚いているとそぼにいた患者さんに「先生のところじゃないの 大丈夫?」

逆に心配されてしまった

病院はまだ新しく大きな損傷はなかったが、水漏れがひどかったとのこと

その時点ではまだ水は普通に出ているようであった

夜明け前に本部の指示でとりあえず福島県立医大に戻ることになった

一睡もしないで夜明けを迎えた



つづく


2011年3月9日水曜日

冬の日の悲劇

降りしきる雪 

いつの間にかその雪の壁は、ひとの丈を超え、記録的な高さとなった

視界をさえぎり、もの音まで吸い込む



そんなある日のことだった

消防本部からのホットラインがけたたましく鳴った

「列車とクルマの衝突事故、クルマは100mほど引きづられ大破

中の運転手はCPA  出動できますか?」

病院から現場まではかなり遠い、今から出動しても到底間に合わないだろう

「列車内の乗客は?」と逆に切りかえした

「乗客の情報は入っていませんが、たぶん大丈夫だと思います」




結局 クルマの運転手はほぼ即死

列車の乗客にケガはなかった

後に踏切で誘導員がクルマを入れた直後に起きた事故であることを知った


新潟日報より


あってはならない事故であるのは確かだ


見通しが悪い雪の壁、列車の音すら消し去る雪の壁

 冬の日の悲劇だ