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2012年1月24日火曜日

ジョニー

平成24年1月21日深夜、神戸市消防局の金谷謙児救命士が出動中にクルマにはねられ殉職した



救急隊員はねられ死亡 神戸
NHKニュースより



ニックネームはジョニーでいつも笑顔のさわやかなナイスガイであった

ジョニーに初めてあったのは2年前の富山ITLSコースだった

私は受講生で、新潟がんセンター看護師のMさんと岐阜高山日赤の看護師のKさんと同じ班であった

ジョニーはこの班のチューターであった

チューターは時間どおりにプログラムが消化できるように、受講生を次の講義、実習会場へと導く役目だ


ジョニーのチューターは抜群に輝いていた

1 受講生を安心・リラックスさせるようにいつも穏やかでにさりげない一言を添えた

2 インストラクターが見逃したような、ちょっとした良いことを ”そこはすごく良かった”とほめた

3 昼食のときに”いっしょに弁当食べようよ”と班のみんなを呼び、自分のi podで音楽をかけた

4 インストラクターが指摘した順番の間違い
  ”山口さんはいつもその順番でしているからそれは問題ないよ”とフォローしてくれた

5 受講生の普段の仕事の内容を聴き、共感してくれた

活字にしてしまうと、たわいもないかもしれないが・・

ジョニーの熱い情熱が私たちに伝わってきていた

富山から帰ったあと、ジョニーのチューターはすごかったの話をみんなにした

ジョニーの話を何回もするから、彼に会ってみたいと思っていたスタッフはたくさんいただろう


今日、そのジョニーの突然の訃報を聞いた

ご冥福をお祈りする

2011年12月17日土曜日

地底からの救出劇

ある日の真夜中、ホットラインがなる

「クルマ1台が崖下40mに転落、要救助者は3名、救出にはしばらくかかる見通し」

救急外来は受け入れ準備に入る

しばらくして第2報

「1名は重傷の様子、他の2名は会話可能、まだ救出には時間がかかるのでドクター要請お願いする」

多数負傷者なので病院待機がベストと思われたが、しばらくかかりそうなのでナース1名とで現場へと向かう


クレーンで救出中


消防が工作車で救助活動中 まだ要救助者はあがってこない

現場は道路わきのがけ

草が生い茂り、クルマは直接見ることはできない

転落したクルマのクラクションがけたたましく鳴り響いている

現場のハザードは急峻な崖、暗闇、騒音(クラクション)だ


つづく

2011年11月7日月曜日

東北DMAT参集訓練

平成23年10月22日秋田県で東北DMAT参集訓練があった
午前11時までには現地入りせよとのことであった
逆算し、我が隊は午前4時に病院を出発

参集拠点の秋田組合総合病院を目指した
約7時間の長旅であった

秋田組合総合病院
途中7号線は津波のため通行不可との指示がでたが、
このとおりに行動すると時間内に到着できないため無視した

午前11前に秋田組合総合病院に入り病院支援をすることになった

病院のエントランスには傷病者がたくさんいて、既に病院職員がトリアージしていた

人数が多く混乱しているためここを手伝えというのが最初のミッションであった



トリアージを開始する十日町DMAT

同病院は災害訓練は2回目ということで職員の方々が一生懸命頑張っていた

こちらが片付くと赤エリアの手伝いに向かった


秋田の他の場所では海上保安庁の巡視船が出たり、航空自衛隊のヘリが出たりとすごい訓練であったようだ


海上保安庁巡視船しんざん


翌日は前日の反省や海上保安庁や秋田県知事、航空自衛隊のお話しがあった



航空自衛隊1等空佐佐藤徳弘氏の講演

佐藤氏は飛行機が音速を超える時の衝撃波のすさまじさを語っていた
ところが操縦士は全く何も感じないのだとか

稲庭うどんを昼食に食べ、帰路に着いた

日本海側は高速道路がつながっていないため、移動は大変であった
   
   

2011年10月30日日曜日

はやぶさの奇跡

9月16日十日町市民会館でJAXAの細田聡史先生の”はやぶさのくれたもの”の講演を聴いた

細田先生は小惑星探査機はやぶさのイオンエンジンの運用を担当した若きエンジニアである


私自身、前回の宇宙飛行士の募集の際には書類が間に合わず応募できなかった過去がある

今回は万難を排して出席した





話を聴いていると奇跡というよりは忍耐、辛抱の連続であったことに驚かされた

例えば

はやぶさに信号を送れる技術者は2人しかおらずこの2人が同時に倒れたらはやぶさは宇宙のゴミになってしまう

このプロジェクトの7年間2人は遠くへも行かず、風邪も引かないように注意し続けたという

当院の整形外科医も最少2人で膨大な仕事量を365日24時間続けていたがこれに匹敵する仕事であると思った



またリーダーについても触れられていた

このはやぶさのプロジェクトマネージャー川口淳一郎氏

1 ぶれないリーダー
2 あきらめないリーダー

この1,2をみごとにクリアーし理想のリーダーであったという



プロジェクトマネジャー川口淳一郎氏



このリーダーなくして はやぶさの奇跡はなかったという


医師は規模の差はあれ、チームのリーダーになることが多い

適性がある、なしは別問題で、こういう姿勢でいないとチームは動かせない

分野は違っても共通するものは多いと感じた


   

転落事故

8月のその転落事故の連絡はいつもと違っていた

ホットラインやERからの連絡ではない


勤務中、妻からの電話

妹が事故を起こした、救助中で直に運ばれてくるとのこと





ぶつかった電柱があとから倒れてきた
 
運転していたのは実父で、夏休みで帰省していた妹と、姪二人、母の合計5人が川に落ちた

現場は見通しのよい直線道路で居眠りが原因のようだ

大したケガもなく、入院もしなかった

現場写真をみると大ケガでもおかしくないのに

不幸中の幸いであった


    

2011年9月19日月曜日

石巻赤十字病院

9月14日長岡赤十字病院で災害医療従事者研修会が開催された

今回は石巻赤十字病院の石井正先生の特別講演があった

石井先生は石巻の最後の砦となった石巻赤十字病院でスーパーマンのごとく活躍され、NHKスペシャルや他の番組でも報道された


石巻赤十字病院 石井正先生


講演の内容はざっと以下のとおり(多少違うかも)

◎周到な準備の後に起きた大震災
時計の針を3月11日のあの時間から戻してみると
06’.5海岸部から内陸部の現在地へ病院が新築移転 
(免震構造、広いロビー、酸素配管のある壁)
08’~09’DMATに参加
10’.1.22石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会の立ち上げ
11’.2.12宮城県災害医療コーディネーターを県知事より委嘱

◎大ローラー作戦
300以上の避難所の様子をアセスメントシートで管理
この膨大な情報を毎日更新
衛生環境が劣悪だとわかり市に改善を要望、自らも行動
NTTドコモやいろいろな仕事の飲み友達がいて協力してくれた
(中継局ができたり、簡易水道ができたり)

◎石巻圏合同救護チーム
いろんな組織から派遣された医療チームが個別に活動するのは非効率
災害医療コーディネーターが一元的に統括する石巻圏合同救護チームが誕生

◎エリア・ライン制の導入
石巻圏をすべて管理するのは困難 14の地域に分けて管理
これにより新潟県も2ライン(2つの医療チームが常に常駐する)の医療支援が可能となった


詳しくは日経メディカルonline http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t138/201105/519580.html


石井先生の講演ではリーダーとはどうあるべきなのかということを教えて頂いた

院内3大キレキャラのひとりということであったが、これをを封印
他人へはありがとうの感謝の気持ちを持つ
いろいろな問題にはすぐ介入、即決、即行動
コミニュケーションをよくとる (電話代がとてつもない額に)
日赤の災害服で活動していたが、いろいろなチームの代表としてはよくないということであえて私服に着替えた

などの逸話を聴くことができた

1時間の講演はテンポよく面白い話が多かったが、その影で随分な御苦労があったのだろうと推測された


  

2011年9月15日木曜日

9.1政府総合防災訓練

平成23年9月1日 政府総合防災訓練が行われた

首都直下型大地震発生

埼玉県航空自衛隊入間基地に重傷患者が集められ、広域医療搬送が行われることになった

十日町病院DMATは新潟空港にて自衛隊の大型ヘリCH-47愛称チヌークに乗り込み入間基地に向かう予定であったが、群馬県内の豪雨により飛行は中止



飛行予定であったCH-47



既に高速道路を新潟空港に向けて走行中であった我が隊は、CH-47飛行中止の連絡を受け三条燕ICでUターンし、埼玉方面へ向かった

途中群馬県では猛烈な豪雨があり、我が隊の通過直後に高速道路は閉鎖になった

入間基地に近づくと四国DMATが乗り込んだ高松空港からの自衛隊C-1輸送機が高度を下げ着陸態勢にはいっているのが見えた


四国DMATが乗り込んだC-1輸送機



広大な入間基地内には電車が走る

ランニングをする隊員、自転車で移動する隊員、多数の参集するDMATのために交通整理をする隊員

SCU(Staging Care Unit)の格納庫内は既に運ばれてきた傷病者やDMATであふれ返っていた


SCU本部



我が隊はSCUからCH-47までの傷病者搬送

午後になり四国DMATは再びC-1輸送機で高松空港に戻っていった

するとあふれ返っていたSCU内は少しガランとしてきた


SCU内より滑走路をのぞむ


その後CH-47の機内で傷病者の搬入と搬出などの訓練の機会があった

自衛隊の方にはとてもよくして頂いた

東日本大震災では初の広域医療搬送がおこなわれた
被災地内の病院では通常の医療レベルを維持できないため自衛隊機を利用し遠方の病院へ重傷者を搬送する作戦である

次にこの作戦がおこなわれるのはいつか


高速道路の通行止めは解除されておらず大渋滞のなか帰宅した
地震と水害・・盛りだくさんの一日であった